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今度はアルスラーン戦記…


 今日もまた暑い一日でした。。
台風行ってもお彼岸過ぎてもまだ暑い日は続くのかしら?
そんなに頑張らなくてもいいよ、夏夏夏夏、ここ夏ちゃん…。(←わかる人、いますよネ? 出元はカタカナ)

 今日はご近所さんとのお話をいろいろ書く予定でいたのですが、またアニメに引っ張られてしもうて。滝汗
4か月続いた「本好きの下剋上」のマイブームはようやく落ち着きを見せてきたものの、今度は「アルスラーン戦記」がやってきた(って、今頃?)。
(アルスラーンて20年以上前にせっせとやってる人達がいたくらいのだよー?、確か谷村有美が映画の主題歌うたってたよね?、手のひらに~、って。それをなんでアンタは今ごろ? 確かに最近、テレビアニメになったみたいだけど)

って、すみません、よくわからない話題ですね、きっと。(^^ゞ

 ともかく、それでも今回はまだ多少の理性が働いているので、そこそこのけじめはつきそうです。
そんなわけで、明日こそ、続きを書きます。汗 私も忘れたくないことなので。


皇紀2682年 令和4年9月27日(火) 晴れ
安倍総理の国葬儀が無事に行われてほっとしました。
式が始まってすぐの「花が咲く」のVTRに泣けてしようがなかったです。
(ちなみにご存知の方もおられることと思いますが、統一教会がガガガー、と明後日の方向に焚きつけて反対して大騒ぎしてるのはk産党とか元M主党系の方々で、学生の時にヘルメット被って下馬棒持ってお祭り騒ぎしてた、いわゆる「運動家」の方達~。それが好き♡、それでも好き♡、は結構だけど、実際にされてる「活動」はいわゆる反射なんですよね~)


久しぶりにママ友様と遭遇


 この間、草むしりをしようとして外へ出たらさっそく雨が降り出して、家の中へ戻ろうか迷いながら続けてましたら。
「アヒル野さん?!」という声がして、傘をさして立ってる人の姿に、もしや、と駆け寄るようにして近づくと
「あ、やっぱり! 葵さん! わぁ、嬉しい、私、ずっと会いたかったんですよ、てか、一度、お家にいったことあったんです。けど、車がなかったから、きっとお留守だったんですよね! お元気でした?」

 久しぶりに会ってやたら懐かしいのと嬉しいのでいっぱい。
けど、私がそちらのお宅に何年かぶりに寄ってみようと思ったのは実は回覧板で町内の新しい役員がご主人でなく奥さんの名前になってたから。
その後、いろいろ思ううちになんて言っていいやらわからなくなってなんとなく行きそびれてしまってた。
「そう、主人が亡くなって、私が役員になっちゃってるのよ」

 葵さんのお宅へは娘が保育園に上がる前、よく遊びに行かせてもらってた、いわゆる、ママ友。
公園に行った時に初めて声をかけて誘ってくれたのが葵さんで、でも、ご主人のお母さんであるおばあちゃんもいるし、ご本人は午後は自宅で音楽教室を開かれてたからいつもそんなに長い時間ではなかったのですが、ちょこちょこ遊ばせてもらってたのはとても懐かしい記憶です。

「ご主人、どうされたんですか?」
「若年性アルツハイマーで、亡くなってからもう2年」
「そうだったんですか?」
「そうなの。その前に叔父ちゃんが亡くなって、叔母ちゃんも送って、いまは面倒を見るのは実家の母だけになっちゃった」

 その叔父ちゃんや叔母ちゃんのことも昔からよく話題にされてたし、会ったこともあったから、私にとって全く知らない人ではなくて。
 葵さんの以前とかわらない明るい声に次から次に募る話がいっぱいあって、立ち話しながら、家に入ってもらおうか、部屋はそんなに散らかってなかったよな、でも、テーブルの上がミニ扇風機やレシートやなんかでぐちゃぐちゃになってたからちょっと無理。きれい好きな葵さんの前にあの部屋は晒せないし、等々思ってるうちに雨がひどくなってきた。

「葵さん、あの、私、葵さんちに遊びに行ってもいい? まだいっぱい話したいし。家に上がってもらってもいいけど、とっ散らかっててちょっと恥ずかしすぎる。それか、どこかにご飯を食べに行ってもいいですけど、どうかしら?」
でも、お母さんの所にも行かなければならないのでは時間ないかな?、と突然の私の申し出に嫌がられても困るので、断る口実も先に提示したものの、
「ううん、いいのよ、母には、今日は行けないよ、って先に連絡しておけばいいから」と言われて、じゃあ、ケータイ番号教えて、って急いで家からメモ帳とペンを持ってきたら、スマホを持って待っててくれた。
「やだ、私ってば慌てて。スマホにそのまま入れたらいいのにね」
と縁台においてあったスマホを持ってきて番号入力して発信。
「これが私の番号です」
じゃあ、いつがいいかしら?、私は〇曜日と△曜が仕事なんですけど、とさっそくスマホのカレンダーで予定を見ながら、
「来週は月曜日でも火曜日でも大丈夫だけど、それじゃあ急すぎます? お家に帰って予定見ないとわからなかったら10月のもっと後でもいいです」

 なんか、一方的に自分ばっかり嬉しくて懐かしがって舞い上がってるだけでは悪いので、ここでも先伸ばしからフェードアウトの逃げ道も用意しましたが、
「じゃあ、月曜日のお昼にしようか。でも、お昼はどうしよう?」
「なにかお弁当でいいですよね」
「じゃあ、一緒に買いに行くにする?」
「ううん、いいの、いいの。私が誘ったことだから私が奢ります。葵さんは場所だけ提供してください。コンビニ弁当だけどいい? なにか適当に買っていきますね」

 というわけで。前置きが長くなりましたが、今日は久しぶりご近所さん宅へ訪問。
肝心の話題、等々はまた明日書きます。


令和4年9月26日(月) 晴れ
明日の安倍総理の国葬儀がどうか無事に執り行われますように…
私はデジタル献花をすませました

台風被害


 しばらく涼しい日が続いて喜んでたのが今日はまた蒸し暑い一日でした。

 昨夜から今朝がたにかけての台風は県内、市内でも雨で大変なことになっていたところがいくつもあったみたいで。。
地域のことであってもテレビニュースや新聞で知るところが多く、普段は半信半疑のマスコミ情報もこういう時はどうしたってたのみになります。
 自分が住んでる辺りはとにかく雷がひどくて、お風呂に入ってる間、髪の毛を乾かしている間も気が気ではなかったー。
なんでこんな時間に風呂に入ってんだー!!、
天気がひどくなるってわかってたではないかー!!、
何考えてんだー、いい加減にしろ!!、
と自分で自分を罵る以上にカミナリ様にカミナリを食らってるようで、感電しやしないかと戦々恐々。。
ピカッと光れば直後に地響きのような雷鳴が2時間ほど続いて、マジ、怖かったです。

 しかし、豪雨で道路が冠水、家中が水浸しどころか土砂が流れ込んで川のような状態になって命からがらな所もあったことを思うと同じ市内でもこの辺りは恵まれた土地ではないかと思えます。

 台風被害で思い出したんだけど、40年くらい前に富士川橋の橋げたが流されて東海道線がしばらく不通になってしまったことがありました。
国道や東海道線が走ってる橋げたが流れてしまうくらいなのでものすごい雨だったと思います。
 その記憶も薄れてきたころ。
小学生だった娘が、こんなことがあったんだね、と本を持ってきました。

 そこに書かれていたのは、上りの東海道線が富士川駅を出ようとした時、おーい、と人の声がするのに車掌さんが乗客が乗り遅れたのかと出発を待ったそう。
けれど、誰も来る様子がないのでドアを閉めようとしたら、また、おーい、と言う声がしたので、もう一度待ったそうです。でも、誰も来る気配がない。
それで、今度こそ出発しようとしたら、橋げたが流された、という連絡があったとか。
予定通り出ていたら大災害になっていました、という話でした。

 そこに書かれていたのが本当かそうでないのかはわかりませんが、私自身はそういうこともあるのかも、と思っています。


皇紀2682年 令和4年9月24日(土) 雨のち晴れ時々曇り
孫の運動会が延期になりました


風流なんて程遠い


 台風が過ぎて一気に秋が来たようで、朝晩だけでなく、日中もかなりに涼しくなりました。
でも、また次の台風が来てるそうで、明日、明後日はまた荒れ模様のお天気の様子。

 しかし、私ってば毎度お天気の話題から始まってるような。(笑)
夏場は特に。読み返したらワンパターンで、暑いのが嫌なのありありですね。けど、いやなものはいやだからしようがない。季節に、嫌いだから私のとこ来ないで、って言えたらいいのに、ねーっ!

 今日は午後、庭の草むしりでもしようかと思って外へ出たらすぐに雨が降ってきた。
のろまな私がいつもと違う、ちょっとでも真面目に前向きなこと(笑)しようとすると、必ず雨が降ってくるのであります。どーゆーこと?(;´・ω・)
家に入ろうか迷いつつも、それでも自分なりに頑張って草をむしってました。
玄関先のオシロイバナとか。

 オシロイバナは子供の頃に種の中の白い粉?みたいなのを肌につけて遊んだりしてた記憶を懐かしがって植えたはいいものの、今の自分にとってははっきり言って敵認定。(^^ゞ
だって、やたら増えてすぐ大きくなるし、むしろうとすると節でぽきぽき折れちゃって。
小さいうちはまだ根っこも抜けるけど、ちょっと月日が経ったのは根元で折れるだけだから厄介なんだよね。
 あと、ご近所のおじいさんがくれたオリヅルランにも正直困っています…。
これもかなりに繁殖力が強くて、ちょっと油断してるとずんずん勢力を伸ばしていくからなかなかすっきりと片付かない。
そのおじいさんは20年以上も前に亡くなってるので、すみません、と言いながらせっせと抜くのが常です。

 わが家の表側はオシロイバナとオリヅルランに手を広げられ、裏側はとにかく笹が、笹が、笹が勝手な繁殖増殖。
そして、葦?、ススキ?
これもうっかりしてると根が張ってエライことになりますからね!!
もうねー、植物の類は環境と程度によっては風流なんて程遠いね!


皇紀2682年 令和4年9月22日(木) くもり時々雨
今年に入ってひそかに計画的な有休消化を開始したので今日はお休みでした(#^.^#)


イタリアンレストランでの話、ちょっと続きと言うか、つけたし


 さすがに続き物で話が長くなると書いてて疲れますね。(苦笑)
大した事、書いてないんだけど、でも、最初の勢いはどこへやら、肝心のレストランの感想はどっか行っちゃったし。(^^ゞ
まぁ、話のやりとりだけは残しときたかったんで自分としてはそれはそれで構わない気もするけど、でも、なんか中途半端な記事になってしまいました。。精進しないとなぁ。。


 でも、変な誤解は避けたいのでここにちょっとつけたしておきますと。

 年老いての環境は自分が子供の頃とはずいぶん変わりました。

 私の祖父母の4人のうち3人は病院で亡くなり、3人とも病気で入院してて亡くなったのですが、治療の甲斐なく寿命が尽きた感じだったと思います。その闘病生活もそれほど長いものではなかったのではないかな。
 片足を失くしてた祖母も私が小学校に上がったかそうでないかの頃、骨肉腫かなにかで足を切断することになり、その後、自身の希望で2間か3間ほどの小さな離れを座位で生活できるようにして、一人で生活していました。
自分で出来得る限りのことをしている祖母を掃除と洗濯とお風呂を私の両親が手伝い、食品や生活雑貨は私が近くの雑貨屋に買いに行ったり、長男夫婦の伯父伯母が差し入れしたりもしてたのかな。
 急に元気を失くした祖母を往診した医者は老衰で長くはないことを告げたようで、私は伯父にそんな話をされて家の裏で一人泣いていました。そして、歳を取って死んでいくってそういうことなんだ、と子供心にわかった気がします。

 祖母の質素な暮らしぶりを思えばなお、今は死ぬ間際までお金を持っていないとならないようで、医療や介護や福祉が進んだこともあって長生きすることを考えなければならなくなったり、なんでもIT化していく時代の流れについていくのもやたら大変だし、なんだか、すごく難しい時代になった気がするのですよね…。


皇紀2682年 令和4年9月20日 雨のちくもり
台風が去っていよいよ、ようやく明日から秋らしくなるみたいで心底ほっとしています~



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Author:ahirutouban
お肌をキレイにしてくれるコスメと着物と「ジョジョの奇妙な冒険」が大好きなガー子の日記です

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