ひとみのこと 4
桜もいろいろで、土手沿いの桜並木はソメイヨシノかな、開き始めたのが、通りがかりに見る街路樹はすでに散り始めているのもあったりして。
ちょろみーお気に入りの幼児向け番組も体操のお兄さんお姉さんがかわるよう。
季節の変わり目、年度替わりの春は出会いと別れが一緒の季節。
月曜日。
ちょろみーとの朝食後、洗面台で歯ブラシに歯磨き粉つけて居間に戻ってきたら、飼育ケースのひとみがお水のお皿のところでバタついてるのに夢中でふたを開け、
ひとみ、ひとみ、ひとみ!
抱き上げた手の中で二、三度ハアハア大きく息をしたひとみがもう次に息を吸い込むことはなく。
ひとみ、ひとみ、ひとみ!
ひとみ、ひとみー!
ひとみの小さな体はいつもと一緒に温かいのに閉じたままの目、伸びた足。もう動かない。
わかっていたことだけど、わかってたつもりだったけど涙がこぼれ、ひとみの名前を何度も呼びながら、頬ずりしたり、くちばしに鼻をあてては顔をゆがめて泣いてるのに、幼いちょろみーは最初、私が笑ってひとみと遊んでると思ったようだった。
ひとみ、ひとみ!
ひとみ、なんで、ひとみ…
「なんで」なんて、「なんで」なんて言ってしまって、これまで一生懸命頑張ってきたひとみだったのに、
その声はひとみに聞こえてしまっただろうか、ごめんね、ひとみ、ごめんね、ごめんね、
一生懸命頑張ってきたのに、ごめんね、ひとみ…
一昨年の秋。
自分ではもう立つことができず、食べることもお水を飲むこともしなくなってしまったひとみが、小鳥専門の先生のおかげでなんとか食事ができるようになり。
飼育ケースの生活、床面にしいた古タオルや、壁沿いに置いた100均の台所マットのボコボコをくちばしでついばんで中を移動。
いつも温かい中で過ごせるようにケースの中にヒーター、寒い時期は保温材と段ボール箱で周りを囲み、夏の猛暑の時は買い物用のレジカゴに住まいをかえて、暑すぎることがないように寒すぎることがないように。
排泄は一日に一度か二度が精いっぱい。
お腹に菌が繁殖するから、それがまたけっこうなにおい。
だけど、人間や動物のその臭いとは違って、なんていうか、日向のにおいをずっと強くしたみたいな、可愛いニオイ。
膝の上にヒーターとバスタオルを置いて、その中でお布団に入ってるみたいにひとみを入れて、ケースの中を片づけながら、
「ひとみちゃん、くっさー。ひとみちゃんのウンチ、くっさー」
「もう! また言ってる! くさいだなんて、ひどいよ、おかあさん! ひとみだって頑張ってしたのに!」
「そうだよね、ごめんね、ひとみちゃん、頑張ってしたのにおかあさん、また悪いこと言ったね」
「まったく! いつもそう! おかあさんてば、デリカシーがないんだから。そんな言い方して、ひとみだって傷つくんだよ!」
「そうだよね、ごめんね、ひとみちゃん。でも、ひとみがウンチできるとおかあさん、嬉しくてつい言いたくなっちゃってね。可愛いひとみのにおいだもの」
「またそんなこと、言って! ひとみのにおいだなんて、おかあさんてほんとにいやね!」
「そうだよねぇ、可愛いひとみちゃんにひどいよねぇ、いやねー」
ごめんね、なんて言いながら、ひとみを抱き上げてはひとみの頬(耳のところ)やくちばしを指で撫でたり、自分の鼻でモフモフして、いい子いい子。
「まったくもぅ、お母さんてば、しようがないなぁ」
そんなふうにするといつも気持ちよさそうにうっとりしてるひとみがまた可愛くて愛おしくて。
そんな調子でいつも自分勝手にひとり会話して、ひとみの世話をするのが日課だった。
小さなお皿に溜めたお水はひとみが飲むたびに小さなさざ波が立って、それがまた嬉しかった。
そんなひとみとの会話も年明けあたりからなんとなく冗談が少しずつなくなってきて、
「おかあさん、もう、来るかなーって待ってたの、ひとみ、待ってたの」
「おかあさん、どうしてるかなー、って見てたの。おかあさん、どうしてるかなー、って」
なんて言ってるみたいになって。
だんだん動きも鈍くなり、
「ひとみは眠いの、眠いの眠いの。ひとみは眠いの」
なんて感じだったのが。
最近はなんていうか、私が声をかける一方、ひとみからの返事が聞こえなくなった。
なんかすごくバカみたいだけど、本当にすごくバカみたいだったけど、でも、前はそんなして好き勝手な会話ができるくらい、それまでひとみなりに私にきっと何か伝えてくれてたのが、このところはそれすらもしんどくつらくなってきてるようで。
苦しそうに大きく息をする場面も増えてきて、その度に抱えてはそっと撫でてやってるとじきにどうにか落ち着いたのをケースの奥のヒーターのところに静かに戻してやるとあとはもうじっとして動かない。
それでもまだ、もしかしたら、と小鳥の先生もびっくりするくらいのひとみの生命力に期待せずにいられないところもあって。
暮れに診てもらったのがとうとう最後になってしまったけれど。
「すごいね、ひとみちゃんの生命力。ひとみちゃんの生命力はすごいね、頑張ってるね!」
「ここに来る度に、もしかして、これが最後になるのかな、っていつも思っちゃうんですけど、でも、本当によく頑張ってくれてて」
とつい泣けてしまいながら、でも、そんな会話がまた出来るんじゃないか。
もしかしたら、このまま、ずっとこうして生き続けてくれるかもしれない、もしかしたら。
あのひどい夏を越えてきたひとみだもの、ここまで頑張ってきたもの。
だけど、先週半ばあたりから、小さなうんちの回数は少し増えたところで前みたいなにおいがしなくなり、便の状態そのものは悪くない気もするけれど、おしっこの量も減って以前と違う。
苦しさでバタついた時に開いた羽を自分ではもう閉じることが出来なくなり、お腹の骨も浮いてきて、くちばしと足の色の悪さが状況のきびしさを物語り、
「ひとみちゃん、今日も生きていてくれてありがとう、ありがとね、ひとみ」
そんな自分の言葉がけが、もしかしたら、ひとみにとってはつらいんじゃないかと思えてくる。
そんなひとみがとうとう逝ってしまった。
とうとう、とうとう逝ってしまった。
自分の翼を動かして飛ぶことの出来なかったひとみ、天に向かって大きく羽ばたけたろうか。

4歳で元気だったころのひとみです
この一年でぼさぼさした顔、羽毛のないまっぱだかのお腹は
まるで挿し餌されてる雛鳥が年をとったみたいな風貌で
いつもどすんと尻もちついたみたいな状態、両の翼の裏にこぶみたいに大きくなった腫瘍で
バランスのとれなくなった姿を残すにはしのびなく